だす宛もあいてもいないけどいつも通り ちがう
だいぶ久々に日記で虚空に通信はじめます。
三十世紀末 鼠色の雨が降る岬の灯台のゴミ箱から発信しています。
今日はワイヤレsのキーボードあいぱぇどにせつぞくして文字打ってます。
エンジンかからないのでついったーごっこ(アイコン)してみました ちょっと楽しい。
どうでもええことやけど以前このサイトには黒い色のブログと白い色のぶろぐ、そしてにせツイッたーという3つのブログもとい日記がありmした。
この絵は黒い壁(背景)に飾りたい、この散文は白いノート(背景)が具合いい。
なんかそんなふうな拘りがあり、好きに選べるとええなと思って。
好きでやってたんですね。あれやこれやいじくるのが楽しかったんです。そういう魂気(元気)もあったんやなって今となってはおもいます。
こんな有り様だけどまだ日記書いてるのか
個人サイト歴考えるともう20年近くやっとるのでは?
寿命とかで単純に命尽きるよりもっとずっと早くに自分が今の自分でなくなる日が来るだろう、そういうある意味第一段の死みたいなものが来ることをなんとなく予感(予見)して何らかの焦燥感に駆られてるまだずっと昔の自分が日記に遺されているけどもうすでにそれが遺品みたいな風合いになっとる(朽ちるとこみてて)。
ほんとにそうやねって言いたいけどもはや手段ない。
でもね安心して変わらないこともあるねんで。それは今でも
何この人生?てあいもかわらず記してることですかね。
これをあなたが読むことはないでしょうが、ツインピークスの最終シーズンが数十年の時を経て完結したんやけどでも”物語”として、消化して排泄されうる形での物語としては完結させなかった、物語として終わらせないで終わったんだ 何言うてるかわからんかもしれないけど実際そうだから他に言いようがない。それが本当に嬉しくて、その時の気持ちは今もあせずに再生できるんだからそれも嬉しい。
ここ現実にまで食い込んで境界が融解するのを垣間見せたあげく最後に最初がつながってそのまま閉じて世界がそのままで在りつづけるその最期で永遠の瞬間の残響が聞けるんだったら人間にうまれたことも悪夢にもまだ意味がある。まだまだ聞ける、また聞きにいける。癖になっておいしく、また豊かでもある。
この人生何?はそのまま変わりません
定期振り返り歌碑はここらへんにして去年自分が聞いてた音楽の回数のランキング見てからおもうところあっての日記かこうとおもってたけど眠すぎて涙でtきたのでおわります
ℴ ⅄ 𐌔 𐌌 ,../,,/_/,,,,,..../